書き溜めしておいた雑記1

現在日本…否、世界各地で猛威を振るっている新型コロナウィルスに関して

あくまで個人的見解をまとめたいと思う

ちなみに俺自身は16年ほど前に大学にて分子生物学を履修しているので全くの素人ではないが、16年前の知識及び技術の為最新の物とは異なるが、基本的対応に関しては現在もことCDCのプロトコルと大差はないと考える。

 

日本は過去10年で既に2回も「目に見えない恐怖」と対峙している。

一度目は「放射能」そして今回が「ウィルス」である。

どちらも常に大気中に存在する為、過度な「不安」は不要であるのは無論だが

ことそこにある「恐怖」に関してはしっかりと「恐怖」として認知する必要がある

 

まず現状SNSに限らず一般人が抱いている「不安」に関して記述したい。不安とはつまり根拠のない「心配事」である。

「なんとなく嫌な予感がする」「なんとなく心配」「みんな言ってるから自分もそんな気がする」が「不安」である。

 対して「恐怖」とは「今月の支払い10万円だけど、もう手元に11万円しかない。支払いする日に10万円残っているか?支払いが出来なかったら差し押さえにあってしまうか心配」が「恐怖」である。

 

さて今回「不安」を募らせている人々は肝っ玉の小さな人なのか?要らない心配をしている人なのか?正直自分にはわからない。他人の気持ちなどそもそもわかるはずがないからだ。

とは言え、個人的見解であるからこそ、個人的見解を述べよう。

まず、今回の「事件」の発祥地は中国だ。中国は言わずもがな共産主義国家で共産党一党独裁である。

本件が発覚してから…世界でにわかに注目されてからの中国の行動は速かった。

武漢…発祥地を隔離し、発祥地に野営病院さながらの隔離施設(病院)を建設した。

これは武漢の人口1000万人は救えなくても、残り10億の国民は救おう。という「処置」である。1000万人が少ないか多いかは別として「大を救う為に小を犠牲にする」理論としは十分に成り立つ計算式だ。

日本は言わず物が「民主主義国家」であり昔体で言うならば「西側」に属する。

日本を組織として浅く検証してみる。

日本にはそもそも元首という概念が憲法に規定されていない。

元首を「天皇」と規定しても「内閣総理大臣」としても我々日本人は自国の元首を厳密には自身で選ぶことすらできない。

「いやいや後者なら選挙に行けば選べるだろ?」と思う人はこの際ぶん投げといて、先進国で且つ民主主義で自国の元首を選ぶ権利すらない国家はなかなか思い当たらない。

「選挙で決められる」と言うが、導入から国民のほとんどからは反対されているはずの消費税は一体誰が「賛成」しているのだろうか?

これを撤廃しようと考えたらそれこそ共産党が政権を握らない限り無理なのではないだろうか?

税金は国民の意思と関係なく決まっている。

まぁこれはどこの国でも同じなのだが…

 

この数年異常気象の為にメディアではよく「命を守る行動を」と呼び掛けている。

ただし日本人の一体どれくらいの人が「命を守る行動」を訓練し、そしてそれを行えるか?それ以前に、それを「知っている」か?甚だ疑問でしかない。

 これも毎年夏になると海で川で溺れるわが子を救おうとして親…大人が命を落としているか?これは偏に「命を守る行動」を習っておらず、知っていないから起きる惨事であると考える。

 溺れる人間を救うのは救助のプロでも実は非常に難しい。プロですら時には惨事になるものを素人が行ってこなせる可能性は非常に少ない。

 ただ、わが子…他人であっても、危機に瀕する人間を救おうとする行動を愚かだと断罪することも当然またできない。

 …台風の時、地震の時、翌日電車がまともに動いていなくても、ほとんどの日本人はいつも通り会社に行こうとするだろう。

 家がつぶれたら行かない?それはそうだろうが「仕事に行かないと迷惑がかかる」この思考こそまさに社会主義国家のそれだと思うわけだ